肯定録-コウテイログ-

肯定ペンギン。加点方式。

黒澤ダイヤは廃校阻止にどこまでホンキだったのか?~Conflict with diamond~

 

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 皆様こんにちは。初めましての方は初めまして。瀬口ねると申します。

 以前まではアメブロでの投稿でしたが、文字数制限から開放されるべく今回からはてなブログに移行いたしました。

 イベントの感想だったりサンシャイン!!2期の感想を投稿したりしているので、もしよろしければご覧いただけると嬉しいです。

 【アメブロ版 肯定ログ

 

 

 さて、前置きが長くなってしまいました。

 早速本題に入りたいと思います。

 

 

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議題「黒澤ダイヤは廃校阻止にどこまでホンキだったのか?」

 

 「何言ってんだこいつ、生徒会長として廃校阻止にホンキだっただろう」と思われた方、この時点では圧倒的にそのとおりである。

 どうか最後までお付き合い願いたい。

 

 そもそもなぜ僕がこんなバカらしい疑問を抱いたのか、きっかけというきっかけらしいものはなく、今にして思えばほんの小さな違和感の積み重ねが結果的に大きな疑問となったのだと思う。

 

 その「小さな違和感」というのは、黒澤ダイヤの言動なのだ。

 

 まず、「#3 虹」にて、学校説明会と予備予選のどちらに出場すべきかの二者択一の場面。

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今必要なのは入学希望者を集めること。効果的なのはラブライブではありませんか?

 

 ダイヤは「予備予選派」なのだ。

 より効果的な方を選んだとしても、生徒会長である以上てっきり「学校説明会派」だと思っていたので意外だった。

 

 

 次に、2期「#6 Aqours WAVE」にて、果南が考案したフォーメーションを巡っての3年生のやりとり。

 

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今回はわたくしも鞠莉さんに賛成ですわ。学校の存続のためにやれることはすべてやる。それが生徒会長としての義務だと思っていますので。

 

 ここでダイヤは「生徒会長として」という立場から説得を試みる。

 

 少しおかしい。

 

 かつて果南たちが抱いた悲願のフォーメーションであるのに、グループや友人としてではなく、学校の象徴である制服も着ていないのにあえて「生徒会長」という肩書きを以て 、「義務」とまで言って説得しているのだ。

 

 放送当時の僕は少しの違和感を抱えたまま翌週を迎える。

 

 

 次の違和感は2期「#7 残された時間」にて、浦の星女学院の廃校が確定した時。

 

 ダイヤは鞠莉と同じく、学校を救うために必死だった。

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 その割に、なんというかこのあたりのシーンが結構淡泊なのだ。

 不自然に達観していると言ってもいい。

 

 取り乱したり、ヤケになるべきと言いたいわけではない。

 

 鞠莉だけでなくダイヤまでもがダメになってしまったら収集がつかないし、ダイヤが生まれ育った「黒澤家」の「長女」という環境では、こういったどうしようもない理不尽は幼い頃から多分にあっただろうし、あえて達観することで受け流すダイヤなりの処世術なのかもしれない。

 

 が、やっぱり僕にはどうしてもこの不自然な達観が、ホンキで、命を賭して救いたかったものに対する機微だとは思えなかった。

 違和感が積み重なる。

 

 

 違和感が確かな「疑問」になった極めつけは、2期「#12 光の海」。

 

 

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わたくしが書いたことは、現実になるんですわよ。

 

 「自分の書いたことは現実になる。」

 

 12話にして突如明かされた、神にも等しい御業「必中の願掛け」。

 

 かつて鞠莉が留学に旅立った日に書いて、そして帰ってこられる場所を再建するために砂浜に「Aqours」と書いた。

 

 書いたから結果が実を結ぶのか、結果が実を結ぶ絶対の確信があるから書くのか。

 どちらにしてもとんでもない御業なのだ。

 

 ここで大きな疑問。

 

 なぜダイヤは「廃校阻止」を、自身の持つ神に等しい能力「必中の願掛け」に頼らなかったのか?

 

 だってそうだろう。

 もしダイヤが「廃校阻止」を願掛けしていたら、学校は救えていた。

 

 もしダイヤに「廃校阻止できる」という絶対の確信があったなら、書いていなければおかしい。

 

 ───もしかすると、ダイヤの「廃校阻止」は、そこまでホンキではなかった?

 

 とんでもない矛盾である。

 

 そしてこの矛盾こそが、黒澤ダイヤたらしめる特大要素なのだ。

 

 

 

前提「黒澤ダイヤとは?」

 

 皆さんにとって黒澤ダイヤとはどんな人物だろうか。

 

 千歌たちのスクールアイドル活動に反対しながらも停電の対応をしたり、一度は果南の味方についていたものの、結局果南と鞠莉の仲介役になっていたり、砂浜にAqoursと書いていたり。

 

 1期9話までは一見して、「謎の人物」で「行動が矛盾している」という印象のキャラクターだったのではないだろうか。

 

 この矛盾を、頭ごなしに矛盾しているという旨の発言をたびたび見かけていて、そのたびに胸を痛めていたのだ。

 自分の好きなキャラクターが正当な判断で評価されないのは、本当に苦しい。

 

 ただチグハグだったわけではなく、なぜ矛盾していたのか。

 それを改めて整頓していきたいと思う。

 

 

 まず、ダイヤの中にはダイヤを形成する要素が大きく分けて3つ存在すると設定する。

 

 多重人格とかそういう話ではなく、エヴァンゲリオンのマギシステムのようなものであるとイメージしていただきたい。

MAGI(マギ)

メルキオール (MELCHIOR)、バルタザール (BALTHASAR)、カスパー (CASPER) という3つの独立したシステムによる合議制をとり、人間の持つジレンマを再現している。MAGIシステム自体は赤木ナオコ博士によって開発された人格移植OSの第1号でもあり、メルキオール、バルタザール、カスパーのそれぞれに、自身の科学者としての、母としての、女としての思考パターンが移植されておりそれぞれプログラムも異なっている。

(引用:新世紀エヴァンゲリオンの用語一覧 - Wikipedia )

 

 

①.生徒会長の黒澤ダイヤ

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 ご存知、「真面目でちゃんとしてて、頭がよくてお嬢様で、頼りがいはあるけど、どこか雲の上の存在」の、生徒会長の黒澤ダイヤ

 

 「みんながそう思うからダイヤもそう振る舞っている」と言われる所から察するに、ダイヤの本質はこれではないのだ。

 「名家の娘だから」という理由もあって小学校の頃から推薦されていたのだろう。

 いわゆる、「建前」としての要素が大きい。

 

 ただ、与えられた役職・役目は果たす能力と自覚はあり、それゆえ苦悩する姿が見受けられたのが2期「#4 ダイヤさんと呼ばないで」だ。

 

 このダイヤは自ら署名を集めたり、学校のために尽力する「廃校阻止」寄りのダイヤだ。

 

 

②.Aqours黒澤ダイヤ

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 「生徒会長の黒澤ダイヤ」とは打って変わって、1期9話から10話にかけてのまるで別人のような変貌ぶりに驚いた人も多いだろう。

 

 自分がずっと好きだったスクールアイドルをまたやれて、果南や鞠莉にイジられたり、他人と距離を詰めてみたかったり、空回りしたり。

 

Aqours黒澤ダイヤとして誠心誠意うたいたい。」と口にしたように、ただひたすらに自由で素直で、人間味あふれるものなのだ。 

 

 このダイヤは彼女の「素」に一番近く、彼女自身の欲望に忠実な「自由」なダイヤだと言える。

 

 

③.黒澤家の黒澤ダイヤ

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 黒澤家は内浦で十五代を数える古い網元の家だ。

 内浦の資産家で、名家である。

 

 親にとっては自慢の娘。

 地域にとってはさすが網元のお嬢様。

 

 ダイヤはそんな自分のことを「生贄*1」と称して自分を押し殺すのだ。

 

 自身の持つ本質とは違うものの、周囲から求められるが為に「真面目でちゃんとしてて、頭がよくてお嬢様で、頼りがいはある」ように振る舞う「生徒会長」は、「生贄」のそれと同義だ。

 

 残念ながらアニメ版では黒澤家の描写は少なく、彼女の抱える家とのしがらみについて語られることはなかった。

 

 だが、黒澤家の「長女」、つまり「お姉ちゃん」として描かれることは非常に多かった。

 

 「お姉ちゃん」のダイヤは過保護すぎるほど妹のルビィを溺愛しており、ルビィもダイヤにベッタリの共依存である。

 

 ダイヤは果南と鞠莉が戻ってこられる場所を再建していただけでなく、ルビィがスクールアイドルをやれる場所をも用意していた。

 

 ルビィが初めて千歌と接触した時、隣に花丸がいるのに助けを求めたのは「お姉ちゃん」で、その救難信号に呼応するかのように現れたのもダイヤだ。

 

 2期「#3 虹」、「#8 HAKODATE」、「#9 Awaken the power」を見れば言うまでもないが、ダイヤはルビィのことを第一に考えているし、ルビィもダイヤのことを第一に考えている。

 

 一般的な姉妹の絆と言うものが分からないが、この姉妹はちょっと異常なほど愛し合っているとは思う。

 

 この「黒澤家の黒澤ダイヤ」はとにかく妹第一で、妹のためなら大義名分を利用して強引なこともやってしまうのだ。

 

 

 以上の3つの黒澤ダイヤを形成する要素はそれぞれ別方向に、でもそれぞれがちゃんと正義を持って違う方向へ向いている。

 

 そして「③.黒澤家の黒澤ダイヤ」こそが、廃校阻止にホンキではなかったモノの正体なのではないかと考えたので、次から考察として書き進めていこうと思う。

  

 

 

考察「黒澤ダイヤと矛盾~Conflict with diamond~」

 

 「矛盾」という言葉が持つイメージはいいものではなく、こうしているとダイヤへのネガティブキャンペーンだと思われてしまうかもしれない。

 あらかじめ明言しておきたいのが、僕は黒澤ダイヤを愛しているし、だからこそダイヤの行動の全てに意味を持たせたい。

 少しでも黒澤ダイヤというキャラクターのことを分かりたい。

 

 

 さて、前項で述べたように3つの要素に分けられた黒澤ダイヤ

 矛盾といえば聞こえが悪いのだが、「1キャラで3キャラ分の行動が許されているキャラクター」だと捉えると非常におもしろく、奥が深い。

 それぞれが別方向に、それぞれが正しい。だから矛盾する。

 

 ここで僕がなぜ「矛盾」という言葉にこだわっているかを少し解説しておこうと思う。

 この記事のタイトルにも採用させて頂いた、ラブライブ!サンシャイン!!オリジナルサウンドトラック(通称OST)【Sailing to the Sunshine】に収録されている「Conflict with diamond」。

 

 この劇伴が流れるのは1期「#1 輝きたい!!」にて、千歌と曜が濡れた申請書をダイヤへ提出するシーン。

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 「Conflict with diamond」、ダイヤとの対立というわけだ。

 

 そしてこの「Conflict with diamond」、1期「#9 未熟DREAMER」にて、果南と鞠莉が教室でモメるシーンでも流れている。

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 このシーンで対立しているのは果南と鞠莉であり、その後の部室での梨子の発言からダイヤの言動が矛盾していることが分かる。

 

「Conflict with」には、「矛盾する」という意味もあるのだ。

 

 ともすれば、作中で矛盾することが許されているのが黒澤ダイヤというキャラクターだということも裏付けられる。

 

 

 回り道をしてしまったが、話を「廃校阻止」と前述した「③.黒澤家の黒澤ダイヤ」へ戻す。

 

 

 「もし」の話をしても仕方のないことだが、「もしも浦の星女学院が廃校から救われていたら」の話をしていこうと思う。

 

 ダイヤがホンキで廃校阻止をするために「必中の願掛け」をしたとする。

 

 学校は救われ、ラブライブも優勝。

 誰もが夢に見た伝説的ハッピーエンドだ。

 

 問題はその後、ダイヤたちが卒業した後である。

 

 学校が救われていたら鞠莉が理事長を続けているかどうか分からないが、3年生が皆誰も内浦に残らないというのは衝撃的なものだった。

 

 3年生は卒業してしまって学校とは無関係になるので置いておくとして、在校生の話をしよう。

 

 千歌たちの代では、物語的に言えば学校を救った英雄として千歌が、あるいは曜か梨子が「次期生徒会長」として推薦に上がってもおかしくないだろう。

 

 ではその次の代、ルビィたちの代が3年生になる時は誰が生徒会長になるだろうか?

 

 これは「ルビィの可能性が非常に高い」と考えている。

 

 黒澤ルビィというキャラクターは、誰がどう見ても人前に立ってリーダーシップを発揮していく人物像ではないのは明白だ。

 

 ではなぜルビィが生徒会長になる可能性があるかというと、「伝統」と「伝説」から、最も考えうる可能性だからだ。

 

 まずは「伝統」。

 「③.黒澤家の黒澤ダイヤ」項で記したように、黒澤家は伝統のある地元の名家なのである。

 名前だけでブランド物だ。

 

 

 そして「伝説」。

 仮に廃校阻止された場合の入学生は、ラブライブを通じて集めた入学希望者だ。

 もちろんラブライブに優勝し、学校を救ったAqoursAqoursのメンバーは伝説的な存在になり祭り上げられることだろう。

 

 

 この「伝統」と「伝説」。

 どちらか片方だけならまだ押しが弱いかもしれないが、どちらも満たしてしまう人物は黒澤ダイヤを除いて、ただひとりしかいない。

 

 かつて、ダイヤが自分の本質とは違っても周りの求める振る舞いを求められていたように、いくらルビィが人前に立つのが苦手な性格だったとしても周りの人間には「関係ない」のだ。

 

 学校を救った「伝説」を率いる地元名家の「伝統」に心酔させてほしいというのが道理ではなかろうか。

 

 善子や花丸のことだ、「生徒会の仕事を手伝う」なんて申し出てくれるかもしれないが、それこそもう退路がなくなってしまうのだ。

 

 1期「#4 ふたりのキモチ」から2期「#9 Awaken the power」を経て、ルビィは自立することを覚えた。

 

 だが、自分の意志で自立することと他人からの意志・置かれた環境で剣が峰に立たされるのではまるで話が違う。

 

 そして問題は学校内だけにとどまらず、ダイヤのいなくなった黒澤家にまで波及するだろう。

 いなくったダイヤの代わりに暫くの間ルビィが黒澤家の事を背負い込むのは道理で、今までダイヤの役目だったことがまるまるのしかかってくる。

 

 

 ダイヤは自分のことを「生贄」と称しているが、その役目が妹にすり替わってしまうのだ。 

 

 このままでは、最愛の妹が自分たちの作った「伝統」と「伝説」に押しつぶされてしまう。

 

 妹が生贄になるくらいなら、廃校になってもかまわない。

  

 ダイヤはきっとそんなことを考えた。

 

 だから「黒澤家の」ダイヤは「廃校阻止」を選ばなかった。

 

 

 以上が「③.黒澤家の黒澤ダイヤ」が「廃校阻止」にホンキではない側の要素の考察だ。

 

 完璧なまでの私情が介入した、書類上のことじゃなくもっと個人的な、完璧な矛盾の完成である

 

 

 

結論「廃校阻止、どこまでホンキだったのか?」

 

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  ここまで書いておきながらこんなことを書くのもどうかと思うのだが、ダイヤは確かに「廃校阻止にホンキだった」。

 それはそうだ。自分の古巣が無くなってしまうのはさみしいものだし、なにより大親友の鞠莉が人生を賭けて救おうとした学校に「無くなって欲しい」なんて言えるわけがない。

 

 そして誤解の無いようこれだけはハッキリと言っておきたいのだが、ダイヤが意図して選んだものではなく、そうなってしまう運命だったということ。

 

 

 「①.生徒会長」のダイヤは「廃校阻止にホンキ」。

 「②Aqours」のダイヤは好きなことをやりたいようにやる、いわば「中立」。

 「③黒澤家」のダイヤは「廃校阻止にそこまでホンキではない」。

 

 

 浦の星女学院の生徒でなくなった瞬間、①②のダイヤは消滅する。

 

 つまり、「③黒澤家の黒澤ダイヤ」が最優先になるし、更に言うなら人生というスパンで見た時に最も長く、最も重視されるのは③であるべきだ、というわけだ。

 

 

 「どこまでホンキだったか」と、数値や割合で表すことは出来ないが、学校の生徒でありスクールアイドルという刹那的な存在である以上「ホンキだった」ダイヤと「中立」のダイヤは、「ホンキじゃなかった」ダイヤより寿命が短い、そういう運命だった。そして病的なまでに妹のことを愛していた、というだけの話である。

 

 

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 僕の感じたわずかな違和感・確固たる疑問を考察として落とし込むとしたらこんな感じだろうか、ということで筆を執らせていただきました。

 

 黒澤ダイヤというキャラクターはとても奥深くて、ここに書いたよりももっとずっと奥深くて。

 二律背反に揺れていてどこか計算高くて、意外と私利私欲のために動きがちで狡猾なところもあるけれど、それが人間味として溢れていて、とても魅力的なのです。

 

 最後までお付き合い頂きありがとうございました。

 

 

*1:Sea Side Diaryダイヤ編より。「わたくしの人生は、きっと精一杯に己の義務を果たすためにある」と人生を諦めて達観している素振りを見せている。