肯定録-コウテイログ-

肯定ペンギン。加点方式。

SAILING TO THE SUNSHINE

 東京ドーム。

 

 おそらく日本で一番有名なドームであるといってもいい場所。

 
 この会場で単独公演ができるアーティストは限られている。

 この会場で単独公演ができるということはそれだけで誇らしいことなのだろうと思う。

 が、意外にも公演数自体は結構ある。

 Aqoursが東京ドームで単独公演するまでに、885回の単独公演が行われている。(東京ドームコンサートを開催したミュージシャンの一覧 - Wikipediaより)

 ただ、声優というカテゴリで見れば前例はたったの2組、計4公演。

 その2組とは水樹奈々さんと、「偉大な先輩」。


 G'sマガジン号外と4thライブのパンフレットをさきほど読み終えた。

 4thに向けて何も考えずに、今ある自分のままで楽しみ尽くしてやろうって思っていたのだけど、パンフを読んで気が360°変わった。
 めちゃくちゃ色んなことを考えてしまった。

 キャスト全員からではないけれど、溢れ出ている「偉大な先輩」たちへの想い。

 同時に、『選ばれた僅かな人間しか立つことが許されない舞台に立つ誇り』よりも『「偉大な先輩」が立った舞台に立つという重圧』のほうが上回っているように思えた。
 
 しかしこれは無理もない。

 圧倒的な人気が絶頂の最中終えたファイナルライブ。

 当時そのコンテンツの後継としてAqoursに求められていたものは計り知れない。
 今までのライブや生放送、ラジオなど様々な活動を通して「だいたいこんな事があった」ということは察せるし、飽和しているアイドル声優コンテンツで生半可なモノを提供しても結局ボロが出る。

 ドル箱と化したコンテンツ、企業の威信や命運もかかっている。
 重圧のほうが上回るなって言うほうが無理な話だ。

 逆境、逆風のなかはじまったAqoursたち。

 ゼロからのスタートどころか、個人的にはむしろマイナスからのスタートだったと思う。

 お渡し会やミニライブという下積み、ワンマンライブ、ツアー、海外公演などを通し、立派なアーティストとなったAqoursはもう彼女たちだけのパフォーマンスで彼女たちだけのファンを手に入れている。

 逆境、逆風さえも追い風に変えてしまうような、メキメキと力をつけていくAqoursの快進撃がとても痛快で彼女たちを応援しているようなところはある。
 

 次第に「偉大な先輩」の影を感じることは無くなっていった。

 ところがこの4thライブ、突然またその”影”を匂わせる。

 今までナリを潜めていたものが、突然顔を出す。

 よく考えれば当然のことなのだけど、とんでもない違和感があった。

 先述したとおり、これは無理もないし、仕方ない。

 東京ドームという場所は、演者やファンを含む「みんな」にとって大事な場所だったのだから、影どころか話題が出るのが当然なのだ。

 そしてたぶんこの「みんな」にとって大事な場所Aqoursが立つということに色々な感情を抱いているのは、僕たちファンのほうにも言えることなのではないだろうか。

 
 せっかくなのでちょっと自分語りをしようと思う。


 僕は一度ラブライブ!というコンテンツを離れた。ファンをやめた。
 時期で言えば「偉大な先輩」の5thライブが終わったあと。

 だから僕はファイナルを見ていないし、何があったのかも知らない。
 映像すら見ていないし、おそらく今後見るつもりもない。

 ぶっちゃけてしまえば、東京ドームは僕にとっては「みんな」にとって大事な場所ではない。

 ラブライブ!から離れていて、再びサンシャイン!!にめぐり逢うまでにはいろいろあったのだけど、それまでにこのコンテンツを外から眺めていたときに感じていたことは、「良くも悪くも、演者もファンも、呪縛じみたものに囚われているな」というものだった。
 ファイナルを見ていないからこんな身勝手なことが言えるのだろうけど。

 後釜として見る人、後継だから見る人、逆に後釜だから受け入れられない人、いろいろな人がいる。これは仕方ない。

 呪縛というと言葉が強すぎるのかも知れないけど、この甘くて優しい呪いは無意識にいろんなものを縛っている。


 『鎖につながれた象』の話をご存知だろうか。

 これは「巨体で怪力のサーカスの象が、なぜ杭や鎖を壊して逃げ出さないのか?」という、たとえ話のひとつ。
 皮肉なことに、象を縛っているのは杭でも鎖でもなく、象自身だったというお話。
 杭や鎖が「縛られている」「逃げられない」という洗脳を課し、自分自身を縛ってしまうのだ。


 再びこのコンテンツに身を落として分かるけれど、これはやっぱり呪いだった。
 たぶん僕自身が一番縛られていたのかもしれない。

 前述の通り、僕はAqoursが彼女たちの力だけで彼女たちだけのファンをつけ、快進撃を続けていく姿に心を打たれて今こうしてAqoursのファンでいる。 

 故に、TVアニメ1期「#12 はばたきのとき」で”あなたの背中ではなく自分のだけの景色を探して走ります”と決意し、決別した高海千歌に震えた。
f:id:Segnel:20181114112244p:plain
 以降、2期になってからは話中で一度も「偉大な先輩」の名前は出てきていない。

 こうして彼女たちだけの景色、輝きを追いかけた千歌たちAqoursの素晴らしき物語と、その名を冠したライブツアーを見とどけた先での「SAILING TO THE SUNSHINE」だ。

 この「SAILING TO THE SUNSHINE」で、一度すべての足並みを揃えて、ゼロをイチにしたその先へリスタートするためのものであってほしい。

 「偉大な先輩」が立った、みんなにとって特別な場所
 そこに立ったAqoursたちに、追いかけ憧れるのではなく「並び立った」と胸を張ってほしい。

 『選ばれた僅かな人間しか立つことが許されない舞台に立つ誇り』が『「偉大な先輩」が立った舞台に立つという重圧』を上回ってほしい。
 
 僕が好きになったAqoursを、「偉大な先輩」の影を感じさせず誇らせてほしい。

 他のことなんて一切考えられないような、Aqours以外考えないんだって思えるような最高最強のステージを見せてほしい。

 このライブすら通過点にして、もっとすごい人達になってほしい。

 それが僕にとっての「SAILING TO THE SUNSHINE」であってほしい。
 呪縛という鎖を壊して、碇を外して、船出の時を迎えさせてほしい。

  この先あと何度Aqoursのライブがあるのかわからないけれど、彼女たちなら絶対応えてくれる。

 何も考えずに4thに臨むつもりだったのに、めちゃくちゃな欲望だらけになってしまった卑しい自分に本当に嫌気が差す。

 思いついたままに書き殴ってしまったけれど、おおよそ本心だし、なんとなくだけれど4thへ向き合えた。

 色んな事を考えて色んなことを書いたけれど、気持ちが360°変わっただけなので、結局やること自体は変わりなし。
 ここで吐き散らかしたぶん、頭を無にして臨むこと。

 だからそのぶん、彼女たちからいろんなものを受け取れますように。