肯定録-コウテイログ-

肯定ペンギン。加点方式。

肯定の物語


 皆様こんばんは、瀬口ねるです。

 ラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie Over the Rainbowが公開されまして、何か書けたらいいなって思ったのでなんか書いていきます。


肯定の公式


「明日もきっと、輝いている。」

 劇場版が作られるにあたって、一番最初にでてきたキャッチコピーだったでしょうか。


「きっと明日も輝ける!」


 劇場版の正式なキービジュアルに使われてる文はいつの間にかこっちになってましたね。

 細かいニュアンスとか、いわゆる解釈と言うやつはもうほんと人それぞれだと思いますが、僕は前者の方が好きです。

 ともあれ、この2つのキャッチフレーズの本質に大きな差はないでしょう。

 この言葉って額面通りに捉えると「明日は明日の風が吹く」みたいな、すごい無責任に見えちゃうんですよね。

 でもこの映画って「ラブライブ!サンシャイン!!」で、Aqoursが歩んできた軌跡があるからこそ無責任にならなくて、たったこれだけの文なのにものすごい情報量があるんです。

 というのも、ラブライブ!サンシャイン!!は「肯定の物語」だからなんですよね。

 ラブライブ!サンシャイン!!の1期と2期、彼女たちAqoursの9人は、個人単位であったりAqoursという団体であったり、様々な問題や困難に直面し、打ちのめされ、それさえも肯定して自分たちの糧にしてみせました。

 辛いことも楽しいことも色んな過去があったけど、全部含めて輝くイマがある。「だから」明日もきっと輝ける。
 
 劇場版のイタリアパートでは、鞠莉がお母さんに認めてもらうことが勝利条件でした。
 ライブの後、「パパやママが私を育ててくれたように、Aqoursが私を育てた」と鞠莉は言いました。

 最後の「Next SPARKLING!!」では鞠莉のお母さんが6人のAqoursのライブを見に来ているわけですが、6人のAqoursを見定めるということは「鞠莉を育てたAqours」を見定めるということで、ここで6人がヘマこいたら今度こそ鞠莉はお母さんに連れ戻されてしまうでしょう。

 ところが鞠莉たちは無事にその場から旅立ちました。
 これは「鞠莉を育てたAqours」を認めたということ、鞠莉の過去とイマを認められたからこの先もきっと大丈夫だろう、と送り出せたのでしょう。


 まあ前置きはこの辺にしておいて、ラブライブ!サンシャイン!!って、すごく難しいですよね。
 何十回繰り返して何度も見ているはずなんですけど、結局分かった気になってるという域でしかなくて。

 同じアニメを見てるはずなのに全然違う意見になったり、仲のいい人なのに全然言ってることが分からなくて何言ってんだこいつ?って思うこともありますし、僕もそう思われてるんだなって痛感します。

 結局のところ、各々で求める「解」が違うのでそりゃ違うわガハハって感じなんですよね。

 じゃあなんでこのコンテンツはこうもいろんな人の心を掴んでいるのか、と。

 なんとなくですけど、「解」を求めるのではなくて、解を求めるための「公式」を知れるのがラブライブ!サンシャイン!!なのかなって思います。

 サンシャイン!!のアニメ劇中、あらゆる問題が手を変え品を変え色んなアプローチでAqoursの前に立ちふさがっていましたし、物語にも難解な部分がいくつもありました。

 一見よくわからんなって話でも、あとから明かされたストーリーを見て「なるほど」と何度膝を打ったか覚えていなくて、でも裏を返せば今までの話の中に物語を読み解くヒントが符号的に転がっているはずなんだ、って。

 2期になってからは、2期の話そのものよりも今まであった話を意識するようになりました。
 放送当時に毎週感想ブログなんて書いていましたが、ご覧頂いていた方はなんとなく「こいついつも1期とかの話してんな」みたいなこと思ってたんじゃないでしょうか。

 今更ながらクソドヤりたいのが、果南がフォーメーションノートを隠してしまった理由を自分なりに考察したら翌週そのまんまのことがテレビで流れてきてほら見ろ〜!ってなったことですかね。

 ともあれ、僕は僕なりにサンシャイン!!の物語を楽しむために「意味の無いことは無い」「全てに意味がある」という「肯定の公式」を使うことにしたのです。

 なんかよくわからん宗教みたいになってしまったので改めてざっくり言うと、ヨハネのオタクが自分に起こった不運を「これもリトルデーモンの証だから」と言ってしまうのと同じような感じです。ちなみにラブライブは宗教です。


 こうして得た公式を自分の人生に当て嵌めたとき、なにかちょっとだけ視点が変わって新しいことに気付く。
 それこそ人生観の変わるような気持ちになる。そして思う。「ラブライブ!サンシャイン!!ってすげぇ」って。
 これが共通認識になっているところは少なからずあるのではないでしょうか。


 劇場版の中の千歌たちAqoursや、それを観た僕達も、たぶん「心の中に生き続けていく」想いを感じたと思うんです。

 千歌たちはスクールアイドルじゃなくなったってこの先まだまだ人生は続いていくし、僕達だってサンシャイン!!のコンテンツが全部幕を下ろしたとしても人生は続いていく。

 サンシャイン!!が、Aqoursが無くなったら自分には何も無くなってしまうのか、って言うと、それは違うんですよね。

 サンシャイン!!で得た自分だけの気付きや生き方は、自分の人生でこれからも役に立てていけるはずなんです。

 人生って往々にして思い通りにいかないことばっかりで正直全然面白くないんですけど、そんな中にもわずかに散らばっている符号とかを「公式」に当てはめて、どうにか自分だけの意味を見出していくんです。

 劇場版で言えば、統合した先の学校で分校にされてしまうという未来が待っていた。
  結果的にAqoursはライブを成功させて、「分校」の文字をバツで消し、「浦の星女学院」として自分たちの在り方を確立した。

 世情とか未来みたいな規模の大きい情勢みたいなのは変えられないかもしれないけど、視点を変えることでちょっとした明日は変えられるかもしれない、という考えが持てるようになりました。
 自分の人生を愛せるのは自分しかいませんからね。


 ラブライブ!サンシャイン!!って常にこちらに問いかけてくるようなヤバいコンテンツなんですよ。

君のこころは輝いてるかい?

とか、

「待っててくれるかい?」

とか、

「こたえてくれるかい?」

とか。

 だから、こっちとしても常に答えられるように、手を変え品を変え繰り出される問題に対して解を出せるような公式をいくつか持っていたいんです。
 僕にとってはそれのひとつが「肯定」というもので、これさえあればこの先もきっと大丈夫だなって思えるんです。

 サンシャイン!!を経て、色んな人生の楽しみ方をしている人を見かけるようになりました。と言うより、その存在に気づいたという方が正しいんでしょうか。

 写真を撮ったり、創作活動を始めたり、運動を始めたり、よくわからんグッズで遊んだり、とにかく「自分なりの楽しみ方」をしてる人がまぁ多いこと。
 その人たちは間違いなくサンシャイン!!から何かを受け取って、今しかない瞬間を全力で楽しもうとしている。すごいですよね、本気になれる人は尊敬に値します。

 僕がラブライブ!サンシャイン!!から得たものとか、読み解けているものがどれだけかは分かりませんが、僕の人生において間違いなくプラスに作用しているので多分これでいいはずなんです。

 皆様におかれましても、自分だけの公式が見つかりますよう。